影の終着点
都内某所。
『第XX回全国中学校バスケットボール大会』と書かれた看板や垂れ幕、貼り紙を見やりつつ、黒子はチームメート達と共に控え室へと歩みを進めていた。
次の相手は前年度の大会でも当たった事のある中堅校。だからといって、さして緊張しているわけではなかった。前を歩くのは、昨年帝光中学バスケットボール部を優勝へ導いた立役者にして、今もチームの中枢を担うキセキの世代と呼ばれる自分のチームメートにして、自分が今最も信じられる仲間達だ。彼らと共に居ることは、黒子が平常心を保つのに大きく貢献しているようだった。
そもそも黒子は元から他人にさほど流されるような人間ではない。
それは決して感情が一切無いというわけではなく、単純に他の人間と比べると感情の起伏が少ないだけの話だ。
だからだろうか、もし彼の感情が揺さぶられるような事態が起こった時、それは黒子にとって普通の人間以上に大きな衝撃となりうるのは。
控え室に入ると、とりあえず壁際のベンチを確保する黒子。他のチームメートと同じく、ジャージに着替え始めるが、急に聞きなれぬ声が耳に飛び込んだ。
『よぉ、久しぶりじゃん!』
『あ、ども。』
どうやら声の発信源は隣の控え室らしい。そういえばこの会場は比較的老朽化が進んでおり、大会が終わり次第改修工事の予定が入っていると聞いた記憶があった。黒子は手を休めること無く、着替えながらも壁の向こうの会話に耳を澄まさずには居られなかった。
『調子どうよ?そっち今から試合だっけ?』
『うーん、そうなんすけど……』
『ん?』
『相手、帝光なんすよ』
自校の名を耳にし、思わず目を見開く。
『……うわ、ゴメン。その、とりあえずまぁ、頑張れよ』
全中の会場で、こんな会話を耳にしたのは初めてではない。だから特に驚くこともない。
それでもどういうわけか、この時だけは彼らに――キセキの面々に――話したい衝動に駆られたのだ。
反応は安易に想像できたけれども。
「だっせーっスね」
「興味ないのだよ」
「くだらねー」
「どうでもいいやー」
「それがどうかしたのか、黒子」
概ね予想していた通りの反応ではあった。けれどもどこか自分の感覚とずれている気がしてならなかった。
「黒子っち?」
不安げな黄瀬の表情を見やりつつ、黒子は軽く首を横に振って言った。
「すみません、多分僕が反応しすぎてるだけです。何でもないです、気にしないで下さい」
「え、でも……」
「ほら黄瀬くん、皆行っちゃいますよ。僕達も行きましょう」
訝しむ黄瀬を出入口へと促しつつ、黒子は複雑な心境だった。
***
「試合終了!137対65で、帝光中学の勝利です」
『ありがとうございました!』
普通の学校ならば、全力を出して得た勝利はこの上無く喜ばしいものであるはずだ。特にこの全中の舞台では尚更のこと。
しかし、共に整列しているチームメート――キセキの5人は、それがなんでもない事であるかのように、寧ろ勝利が当然であるかのような堂々とした表情を浮かべていた。所詮はまだ決勝トーナメントの初戦突破であり、騒ぐほどの大事ではないのだ。
だが何故だろうか、いつもならさほど気にしないチームメート達の態度が、今日は妙に引っかかってしまった。
「おい黄瀬ェ〜、お前テツのパス取りすぎだろ」
再び更衣室に向かう途中、若干不機嫌そうな顔で青峰がぼやいた。
「えっ、仕方ないじゃないっスか、そうじゃないと俺ノルマ……」
「知らねぇよ、俺はお前のせいで暴れたりねぇ」
「なっ、俺にそんな事言われても困るっスよ!ノルマ決めてるのはあか……」
理不尽な文句をぶつけられた黄瀬が主将の名を口にしようとした瞬間、その当人が冷ややかな視線を向けてきた。
「何か言いたい事でもあるのか、黄瀬?」
「な、何でもないっすよ赤司っち!」
焦る黄瀬を見やりつつ、その隣に立っていた紫原が間延びした声で言った。
「んでもなんか今日いつもよりも黄瀬ちんにパス行ってなかったー?」
「俺も、今日はノルマ達成のための最小限、たった7本しか決めてないのだよ」
そう言った緑間も、口調こそ普段と大して変わらないが、顔は実に不満そうだった。
「今日は黄瀬にもう少し実践慣れさせることが目的だったんだ。だからパスも若干多めに回させた。それが何か問題でも?」
そんな会話をキセキ達が交わしている内に、一同は更衣室に着いていた。
他の面々は大して疲れているわけでも無さそうで、手早く着替えを済ませていた。だが、日頃から体力不足が一番の課題ともいえる黒子は、疲れて身体がなかなか言うことを聞かず、他の面々より着替えに時間が掛かっていた。チームメート達が外で待っていてくれてはいるだろうが、だからといってそれに甘えてダラダラするわけにはいかない。着替えの袖に腕を通し、何とか立ち上がろうとした時だった。
「マッジで?」
「なんかもう、試合の前から鬱ですよ。帝光勝ったって聞いてすげー鬱」
次の試合に出場する選手が入って来たかと思えば、それだけではないらしい。制服の選手に混じって、二人ほどユニフォームの選手も一緒に入って来た。ハッキリとどこの学校かは覚えていないが、ユニフォームと制服が一致しないのはどういうわけか覚えていた。選手達は黒子がその場に居ることをさして気にすることもなく、話を続けつつ制服を脱ぎだした。
「まぁせめて次の試合は頑張れよ。勝っても負けても気の毒だとは思うけど」
「全然慰めになってないんでいいですよ。もし勝ったとして、次の試合では潔く負けてきますから」
「いや、結局うちだっていくら勝ち上がったところで最終的には帝光に負けるんだし。後か先かの……」
彼の話が終わる前に、黒子は逃げるように更衣室を出ていた。
ドアがバタンと閉まる音を聞いて、更衣室内からやたら驚いた声が聞こえてきたのは、多分気の所為ではなかった。
「人事を尽くさないからそういった事になるのだよ」
実に緑間らしい言葉だと思いながらも、黒子は彼らにこの話題を持ちかけたのを少し後悔した。
試合前の会話を思い出せば、どういった反応が来るかなど簡単に推測できたはずなのに。
「彼らが言っていることは事実じゃないか。帝光が勝つのは決定事項だ。それの何がおかしい?」
帝光の理念を考えれば、赤司の容赦のない言葉にも反論することなどできない。頭では理解できていても、どうも納得がいかない。
「何とも、思わないんですか?」
我ながら勇気があるというか、寧ろ無謀な発言をしたと自覚はあった。そんな黒子に対し、赤司は何も言わずに肩を竦め、緑間は眉間に皺を寄せつつ呆れ顔を浮かべ、紫原はただただ無関心を貫き、そして青峰と黄瀬はというと、
「あん?言いたいことも面と向かって言えねーような奴ら、どうでもいい」
「青峰っちの言う通りっすよ。ほっとけばいいじゃないスか」
と、結局のところ他の三人と大差無い。
「ていうか黒子っち、どこでそんな話聞いたんスか?」
「えっ……ああ、さっき控え室に居た時に……」
「え?俺ら別に誰ともすれ違ったりしなかったっスよ?」
「馬っ鹿、更衣室出たのはテツが最後だったろうが」
青峰の指摘に、そういえばそうだったっスねーと黄瀬が返す中、黒子もまた自分だけが他校の生徒の発言を耳にすることが出来たのかを悟った。もしあの場にまだキセキ達が居たのであれば、他校生達もそんな発言をしていなかっただろう。自分の影の薄さを考えれば、名も知らぬ他校の選手達が黒子の――帝光の選手の――存在に気付かぬまま、何の抵抗も無く帝光を話題に出したのも納得が行く。
どうやら自分はとことん「影」であって、彼ら――「光」――とは違う存在なのだと痛感してしまう。
考えても見れば、プレイスタイルからして自分は特殊で、つまり彼らとは違う存在だったのだ。
他のプレイヤーの動きをコピーし、更にはオリジナルの完成度をも超える黄瀬のプレイ。恐ろしいほどの精度と驚異的な滞空時間で特徴付けされた緑間のシュート。何人たりとも阻むことの出来ない、文字通り「アンストッパブル」な青峰のオフェンス。恐ろしいほど範囲が広く、いかなる攻撃も通すことの無い紫原のディフェンス。仮にそれらを攻略することができたところで、脅威の情報収集力と更にその先を読む能力に長ける桃井の前では戦略は無意味。そしてそれらを全て掌握し、己の手足の如く自在に操る主将の赤司。
たとえ意図していなかったとしても、彼らのプレイは、能力は、相手を傷つけてしまう。そして彼らは戦えば戦うほど、勝てば勝つほど、その名声を轟かせ、相手に恐怖を与えるのだ。
強制退部処分を受けた灰崎の能力――相手の技を模倣だけでなく、その相手のリズムを狂わせることで技を「奪う」技術――はそういった意味では他のキセキのそれよりも、「キセキらしい」能力だったのではないかと最近では思ってしまう。
その中で唯一、自分だけが違ったのだ。自分の力は他のキセキのそれとは違う。彼らの能力がスタンドアロンでこそその真価を発揮できるのであれば、自分の能力は誰かに依存しなければ何の役にも立たない、補助に特化した能力なのだ。
「キセキの世代」という呼び名。それは、決して敬意や称賛のみから来た呼称なのではなく、畏怖や侮蔑といった負の感情も込められた俗称なのだ。
キセキに一番近くに居ながらも、彼らと対局にいる自分だからこそ、余計にそう思えた。
自分は「影」だ。それは帝光時代から思ってきたことであり、今もその考えは変わらない。
火神にも、青峰にも、他のキセキにも告げた言葉だ。
キセキや火神という光があってこそ、自分という影が存在できるのだと、自分がコートに存在する意義が出来るのだと、そんなことは他ならぬ自分自身が一番良く分かっていたことだと思う。
だからだろうか。
他人を通してでしか、自分の居場所を確立できないことが、たまらなく不安になることがある。
バスケットボールという競技をこの上なく愛し、そしてこれからももっと、ずっと続けて行くことを切望しながらも、やがて否応無しに止めざるを得なくなる日が訪れることに、そこはかとない恐怖を抱いてしまう。
***
「って、お前そんなくだらねーこと考えてたのか?」
「人が真剣に悩んでるのに、くだらないとか言える辺りはキセキの皆と同類ですね」
「そこでそういう言い方するか!?」
いつものマジバでいつものバニラシェイクを啜る。対面側にはこれまたいつもの如く火神がトレイから溢れんばかりの量のハンバーガーを次々と平らげつつも、黒子の話に耳を傾けていた。
「実際問題、僕は一度キセキにとって不必要な存在に成り下がり、そしてあのコートから居場所を失った身なんですよ」
「そんなの自分で……」
「取り返せ、って言えるんですか?一人では何も出来なかった僕に」
「それは……」
そんなの、やってみなければ分からない。
そう出かかる寸前に火神は口を噤んだ。黒子の能力とその限界は、他ならぬ火神が一番良く知っていることだ。スタンドアロンでもプレイできるような能力を持っていたのであれば、依存する必要性など無いのだから。
だがここで火神はほんの僅かな違和感を覚えた。
「って、ちょっと待て」
「何ですか?」
「お前さ、今『何も出来なかった』っつったよな」
「実際そうじゃないですか、あの時の僕は光ありきの影でした。自分一人で何かを成し遂げるなんて……」
「だから、『何も出来なかった』って事は、それ過去形だよな?」
いつになく真剣な目を向けてくる火神に、黒子はワケが分からない、と言わんばかりの表情を浮かべる。彼の返事を待たずに火神は続けた。
「昔は『何も出来なかった』、だったら今はどうなんだよ?」
バニシングドライブ、ファントムシュート、中学の頃よりは僅かとはいえど向上しているはずの身体能力。それら全てを持ってしても、まだ『何も出来ない』のかと、そう火神が問いかけていることは、流石に黒子にも理解できた。
「……その答えは、正直まだ分かりません」
「何で」
「それなら寧ろ僕は火神君に聞きたい。僕は、君から見てどう映りますか?」
「そんなのお前は俺の立派な」
「影と言う名の相棒としての役目なら果たせると、自分でも自負してます。でもそれじゃ僕は」
それじゃ結局前と変わらない。影で支えるだけでなく、傍に立って共に同じ目標に向かって歩めるようになりたい、という目標に辿り着くことが出来ていたとしても、更にその先――自分一人の力だけでも、コートに立つこと――を望むというのはやはり自分では届かないのだろうか。
「何でそんなに一人でプレイできる事にこだわるんだよ」
「っじゃあ火神君は、他人が傍に居ないとプレイできないような頼りない相棒なんかでいいんですか!?」
「じゃあ聞くけどよ、一人でプレイするバスケに価値なんかあんのかよ」
「えっ……」
日頃からアレだけ散々青峰や黄瀬、そして都合が合えば氷室ともストリートでワンオンワンをプレイしており、それを楽しんでいる火神が、まさかそんな事を口にするとは思わなかったようだ。黒子のあまりの驚き様を見て、火神は慌てて、
「あーいやそうじゃなくて、やっぱバスケってのは元々はチームスポーツだろ。そりゃワンオンワンとかも燃えるけどよ、やっぱチーム一丸とかってヤツ?そういうのがバスケの真骨頂ってやつじゃないのかよ」
と、訂正しながらも黒子に問いかける。
「それは……」
火神の言葉に、黒子は反論の言葉が浮かばない。反論する方法が無いわけではないのに、火神の言うことが真実なのだと思うが故に、寧ろ反論することを身体が、脳が、本能的に拒んでいた。
「だからお前の心配事なんてくだらねぇんだよ。バスケがチームスポーツじゃなくなることなんてありえねぇだろ」
今度こそ本当に、あまりに尤もすぎる言葉だった。思わず目を見開く黒子。
「どうだ、これでもまだ何か言うことあるか?」
「……折角珍しく真面目にマトモな事を言っているのに、そのドヤ顔で台無しです。僕の感動返して下さい」
「ンなモン返せるわけ……っつぅか感動って」
「それよりもうこんな時間です、帰りますよ火神君」
「っておい!」
火神の反応をよそに、黒子は席から立ち上がった。気付くか気付かないかぐらいの笑みを浮かべた顔は、いつになく晴れやかで。
――有難う火神君、やっぱり君は僕にとって最高の光だ。
全中の時にこういうシチュあってもおかしかないよなーとか思いながら書きつつも、暗いままだと収拾着かないので火神に出張ってもらった結果がコレ。
時系列的にはWC終了後じゃないと辻褄合わなそうな気が。細かい所は黒子にイグナイトされてぶっ飛びました。
そこまで火黒を意識してたわけじゃないのにいつの間にかそうなったっていうオチ付きで。
(2012/09)
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