試験とプレゼント

「火神君、ちょっと付き合ってもらえますか?」
  とある平日の部活後。
  何の変哲も無い、いつも通りの練習をこなし、ある程度の疲労感を覚えただるい身体を半ば無理やり動かしながら、制服の袖に腕を通している真っ最中。
  先に着替え終えた相棒のあまりに唐突な告白に、火神は開いた口が塞がらなかった。
  でもそれも一瞬のこと。
「何ボケっとしてんだだアホ!」
  軽くドスの利いた声と共にスパーンと小気味良い音が部室内に響いた。
「痛ってぇ!何しやがる……んだ、です」
  どんなにスカッとする音であろうが、被害者である火神からすれば痛々しい音以外の何でもない。突然後頭部を襲った衝撃――感触としては冊子らしきものだろうか――からの痛みに思わず振り向き大声を上げるが、自分をぶっ叩いたであろう人物を認識した途端、急激に声のトーンが細くなっていった。そして相変わらずの取って付けたような敬語を耳にし顔をしかめたのは、部内でも火神に対し一切容赦すること無く制裁を下すことの出来る数少ない人物――主将の日向であった。
「ああん?何しやがるじゃねぇだろ。お前が妙な顔してるから目を覚まさせてやっただけだ」
「いや、だって」
――異性に言われても戸惑うってのに、野郎にいきなり付き合ってもらえますかなんて言われたら、普通は戸惑うだろ。
  心の声を押し殺しつつ複雑な表情を浮かべる火神に対し、日向の隣に立っていた伊月が怪訝そうな顔で問い掛ける。
「『試験勉強に付き合え』、の何にお前はそんなに戸惑ってんだ?」
「……はぁ?」
  我ながら間抜けな声が出せたものだ、と後でこのことを振り返った火神は思ったらしい。それほどまでに顔中に『意味が分からない』と書かれた彼の表情を見た相田が、「あーもうバ火神が!」と叫びながら火神に駆け寄ってくる。
「カントク、まだ着替え中なんですけど。ていうかいつ入って来たんですか」
  と、降旗がぼそりと口走れば、
「だから何!」
  と、苛ついた声が返ってくる。いえ何でもないです、とだけか細い声で返し着替えに戻る降旗に、自然と河原と福田は目で、お前はよくやった、と言わんばかりの視線を一瞬だけ向けたものの、直ぐに我関せずを貫く姿勢を見せた。
「えっと、全っ然何が何だか分かんねぇ、です」
  相田の剣幕に少したじろいだ火神が、それでも辛うじて彼なりの敬語を口にする。
「だ・か・ら、試験勉強よ!」
「いや黒子のヤツ、さっき付き合ってくださいって」
「スミマセン、ちょっと言葉足らずでした。試験勉強しましょう、付き合って下さい」
  と、かなり今更感のある言い訳を、全くもって悪気の無さそうな顔で黒子が言った。
「オイ!」
「オイじゃないわよ!アンタねぇ、自分の今の成績どうなってるかわかってんの!?」
  火神の耳元で吠える相田は顔を真赤にしながら数枚の紙を火神の眼前に突きつけた。一瞬にして火神の顔が青ざめる。
「カントク、なんでンなモン持ってんすか」
  相田が突きつけてきたのは、つい最近行われた試験の答案用紙だった。当然用紙に記されているのは火神の氏名である。
「黒子くんが持ってきてくれたのよ」
「はぁ!?ていうかいつの間に!」
  何つぅ余計なことを、と言わんばかりの形相の火神に対し、黒子は至って平然とした顔で答えた。
「休み時間にです」
「ンなモンどうやって!」
「ミスディ……」
「ンな事にミスディレクション使ってんじゃねぇ!」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょバ火神が、何なのよこの点数は!」
  紙に穴が開きそうな勢いで相田が指差したのは、ご丁寧にこの上無く目立つ極太マジックで10と書かれている箇所だ。因みに間違ってもそれは火神の背番号を指し示しているわけではない。
「何をどうやったら帰国子女のアンタが英語で10点なんて取ってくんのよ、こんのバ火神がっ!」
  バコッ、と先程よりも重みのあるパワフルな音が部室に響き、またも火神は頭を抱えてうずくまる。恨めしそうに顔を上げると、相田の手には先程まで日向が持っていた教科書が丸まった状態で収まっていた。
「カントク、そんなにポカポカ殴ったらただでさえ足りないかもしれない火神くんの脳細胞が更に破壊されてしまいます」
「さり気にヒデェ事言うなお前。まぁ否定しねぇけど……」
  自分も相当容赦なく叩いたはずなのに何でカントクの方が破壊力あんだよ、などと思いながら、日向は憐れむような視線を火神に向ける。
「と・に・か・く、この調子じゃ危険だわ」
  真剣味を帯びた目を向けつつ相田は言った。確かにインターハイ出場が掛かっている大事な試合に、主戦力の一角を担う火神が出れなくなってしまう事態が発生してしまえば、日本一など夢のまた夢だ。
「と、言うわけで、僕と一緒に英語の勉強です、付き合って下さい」
  本日三度目の告白、ならぬ黒子の要望。流石にいい加減状況も把握でき、ましてやここまで明確な発言をされて意思疎通ができないわけがない。しかし火神が突っ込んだのは別の点に関してだった。
「……黒子、お前英語の成績は?」
「少なくとも10点の火神くんよりはマシです」
「だっから日本の英語が細かすぎんのが……」
「言い訳すんなあああっ!」
  相田の叫び声と共に本日三度目の教科書による打撃を喰らった火神はまたも悶絶する。
「……カントク、だからさっきも言ったように」
「なんか言った?」
「いえ、なんでもないです」
  「で、なんでそもそもお前と俺が一緒に勉強することになんだよ。しかもウチで」
  所変わって火神邸。一人で暮らすには十分すぎる部屋にいるのは、部屋の主である火神と黒子のみであった。他の先輩達は自分の勉強があるから、とりあえず黒子に任せる、と騒ぎ立てておきながら少々無責任な発言を残して帰宅して行った。
「火神くんの家、広いじゃないですか」
「いやそれ答えになって」
「とにかく教科書開いて下さい」
  黒子の有無を言わさぬ態度に、火神は渋々教科書を出すが、具体的にどこから始めればいいのか分からない。顔に疑問符を浮かべた火神を見やり、黒子はパラパラと目的のページヘと教科書をめくっていく。
「はい、ここ読んで下さい」
「え、ンだよコレ」
「見ての通り関係代名詞の説明です」
「……はぁ?」
  黒子が開いたページに並んでいたのは、確かに英語の教科書らしく英語での説明文ではあったが、やたらややこしい日本語の説明文が余白に書き込まれ真っ黒になっていた。
「お前よくこんなんで分かるな」
「そもそも火神くんが英語であんな酷い点数が取れる事自体が驚きです。名詞や動詞が何かぐらい分かりますよね?」
  溜め息混じりの黒子の発言に対し、火神はやる気の無さそうな顔で応えた。
「何だそれ」
「……え?」
  今度は黒子が驚く番だった。いや、驚きを通り越して、とにかく反応に困る表情を浮かべていた。
「いや、だってよ」
「いや、だってよじゃありません、本気で言ってるんですか?」
  そんな基礎中の基礎から教えなければならないのだろうか、と黒子が頭を抱えそうになっている中、火神は少し考え込んだ後で言った。
「んー、ああ……もしかしてnounとverbのことか?」
「分かってるじゃないですか」
「いや、意識したら何となくあー、って風にはなるんだけどよ」
「じゃあもっと意識してください」
  君の成績が掛かっているんですよ、と言わんばかりに黒子は自分なりにかなり真剣な表情を火神に向けていた。それを受け流すかのように、火神は気怠げな顔を向ける。
「じゃあ日本人は日本語で考える時、コレは……なんだっけ、名詞?ですとか、動詞ですとか、そう考えながら文章作んのかよ?」
「え?」
「だから、普通日本語で話す時とかって、いちいちコレは名詞だから一番先に来て、その後には必ず動詞が、とか考えんのか?このページにあるSVOとかSVOCとかってのも意味わかんねぇよ。英語なんてアメリカ人相手に通じりゃいいんじゃねぇのか?」
  火神にしては随分と突っ込んでくるな、と思いながらも、黒子は何となく火神の言わんとしていることを理解し始めた。火神の言う『細かい』というのは、恐らく文法に対しての考えなのだろう。確かに日本における英語教育は文法にかなり重点が置かれている印象がある。だが、現実問題文法が重要となるのは文章を書く時であって、英語という言語で『話す』上では、多少単語の順序が間違っていても、イントネーションやジェスチャーなどである程度の意思疎通は出来る。
  加えて、火神にとって英語は限りなく第一言語に近いようなものだ。第二言語として英語を学んでいる最中の黒子は、まだいちいち脳内で文章を組み立てるというステップを踏む必要があるが、火神にとっての英語は黒子にとっての日本語のようなものなのだ。
「あー、なんとなく理解できました」
「おう、そうか。じゃあ……」
「ダメです、そんな風に投げ出されたら困ります」
  教科書を閉じようとする火神の手を慌てて止める。
「だから……」
「火神君が言いたいことは分かりました。でも日本語にこういう言葉があるのを知っていますか、郷に入れば郷に従えって」
「……when in Rome, do as the Romans doってヤツか?なんだそれ面倒くせぇ」
  アッサリと英訳を口にした火神に、黒子は本気で驚いた表情を浮かべた。
「英語版がスラっと出るなんて、意外です」
「前にアレックスから教わった」
  まさか海の向こうで火神にバスケットボールを教えた『師匠』の名が出るとは思わなかった。
「なんでアメリカ人から日本語の表現教わってるんですか」
「だってアイツ日本語専攻してたし」
「とにかく、火神くんには本当に基礎の基礎からやってもらわないと話にならないってことはよく分かりました、ちょっと待ってて下さい」
「おい黒子!」
  火神の不服そうな声を全力でミスディレクトし、黒子はカバンの中から数冊の本を取り出した。
「はい、コレ僕が使っていた中学英語の教科書です。まずはコレを見てSVOのおさらいをして下さい」
「ふざっけんな!」
  怒り狂う火神とは対照的に、黒子は至って真面目な表情だった。
「カントクとキャプテンの許可ももらってますんで。もし火神君が反抗的ならいつでも呼び出していい、だそうです」
「うっ……」
  脳裏に浮かぶのは部活後に散々ボカスカ教科書でぶっ叩いてきたカントク・相田の怒りの形相と、クラッチモードに入った主将・日向の姿だった。正直、どちらとも今この状況下で顔を合わせたいとは思わない。
「嫌ですよね?分かったら教科書開いて読み始めて下さい」
「マジかよ……」
  心底嫌そうな顔で、使い古された黒子の教科書を手に取る。
「ああ、出来たら例文は音読して下さい。火神くんの発音はネイティブ並みなんで参考にしたいです」
「お前いい加減に」
「電話しますよ?」
  どういうわけか今日は完全に黒子のペースだった。ここまであれこれ言われるのであれば、もう少し真面目に試験を受けておけばよかった、と流石の火神も思わざるをえない。仕方なく言われるがまま開いたページに載っていた英文を読み始める。
「This is a ball……っつぷ、マジで日本の中学生ってこんなの大真面目に読んでんのか?」
  火神が笑い出すのも尤もといえば尤もかも知れない。バスケットボールを片手に『コレはボールです』などと大真面目な顔で言われたところでだからどうだ、としか反応しようがないのだから。ところが。
「What kind of a ball is it?(それはどのようなボールですか?)」
「は?」
「What kind of a ball is it? 質問してるんですから答えて下さい。あとスピーキングの練習したいんです」
  視線は自分の教科書に向けたまま、いつも通りの口調で黒子は言った。別に言われたことに何か問題があるわけでもないので、火神は出来るだけ自然で、且つシンプルな返答を考えた。
「あ、ああ……It’s an orange basketball(これはオレンジ色のバスケットボールだ)」
「Do you play basketball?(バスケットボールをプレイするのですか?)」
「Yes」
「Do you like basketball?(バスケットボールは好きですか?)」
「Of course, I love it!(勿論、大好きだ!)」
「Me too(僕もです)」
  いつの間にか黒子は自分の方を見ていた。それも真剣な眼差しで。
「……黒子?」
「Let’s be successful on this test. I want to see you play(このテスト頑張りましょう。僕は君のプレイが見たい)」
「バカ、違うだろ」
「え、僕何か間違えましたか?あとバ火神君にバカと言われる筋合い無いです」
「I want to play with youだろ、それ」
「……そうでしたね、すみません間違えました。I want to play with you」
  一緒にプレイしたい。それは正しく黒子の願いそのものだ。そして。
「That’s what I want to do too(俺もそうしたいと思ってる)」
「……じゃあ、これあげます」
「え?」
  そう言いながら黒子が火神に渡したのは、やたら見覚えのあるコロコロ鉛筆だった。
「……これって」
「緑間君にお願いして作ってもらいました。『理由が理由だから仕方がないのだよ』だそうです」
  厭味ったらしい声が脳内で再生され、火神の怒りのボルテージは急激に上昇した。
「おい……」
「ああ、火神君がバ火神君だからとか、そういうことじゃなくて」
「お前なー!」
「Happy birthday」
「えっ……」
  正しく火に油どころかガソリンを注ぐような発言を一瞬前にしておきながら、黒子が口にしたのは祝福の言葉だった。
「だから、これは緑間君からのプレゼントです」
「いや、なんで……」
「え、もう日付変わりましたよね?誕生日、8月2日だったと記憶してましたけど、違いましたか?」
  黒子の視線は火神のすぐ後ろの壁にかかった時計に向いていた。確かに、彼の言う通り時刻は午前0時を回ったところだった。
「覚えてて、くれたのか」
「相棒の誕生日、覚えていて当然です。因みに僕からのプレゼントはコレです」
  そういって黒子が差し出してきたのは1冊のノートだった。
「……これって」
「先輩方に頼んでまとめて貰った『必勝!コレでテストもバッチリ!火神君専用☆脱バ火神ノート』です。一部僕の方で更に各先生方の授業ノートとかに合わせて付箋とか書き込みとかしてます」
「お前らどんだけ人をバカにすりゃ気が……」
「火神君、これでテストを乗り切って、心置きなくバスケをしましょう」
  正面から火神を見据える黒子の視線は真剣そのもの。声を荒げた火神の表情も、自然と和らいでいった。
「……Thanks」
  ――バスケのためなら仕方ねぇ、有難く受け取ってやるよ、このプレゼント。
 


コレを書くまでひたすら誕生日記念とかミスりまくっていたのにどういうワケか火神誕は書いたという罠。
と、いうワケで初黒バスな上初火黒。日頃から散々他のカプがどうのとぼやいている割に先に火黒書いてる時点でどうかと。
個人的には火神の「日本の英語は細かすぎる」云々は共感できる部分がかなりあるんで、そこらをちょっと書きたいと思っていたんですが、英語の部分はもう少し砕けさせても良かったんじゃなかろうかとも。Want toじゃなくてWannaとかの方がしっくり来そうな気が。
因みに時系列としてはIH直前ぐらい。如何せん火神の誕生日を考慮するとその時期じゃないと辻褄が合わんのです。が、そうするとコレ学年的にいつよって話になりますが、もうそこらはサラッとミスディレして頂ければ。
(2012/08)